読書について焦らないこと
「本が好きな子に育てよう」
そんなことをよく言われますよね。自分自身も本はたくさん読んで育ちましたし、「お友達と遊ぶよりも本を読むほうが好き」とかいう子がいると、「え?もしや自慢?」とイラっとしてしまう黒い私です。
でも、これに関しては焦ったり強制したりするもんじゃないと思うんですよ。読書ってただでさえ胆力が必要じゃないですか。これに読字障害なんかあったら、強制されるなんて地獄ですよ。
さらにね、うちなんて別の問題があってですね。書字障害はなかったけれども、注意欠陥がひどすぎて、集中してモノを読めなかったんですよ。ずっと。未就学児の頃なんて、読み聞かせすらできませんでした。読んでる途中に脱走しますからね。そこに「お母さんの読み聞かせが大事~」からの「読書習慣をつけさせましょう~」と畳みかけてくる思考停止教育評論家たち!今思うと本当につらかったです。よく死なないでここまできたよ。(病んだけど)
はっきりいいますけど、読書ってもっと長いスパンで見ていかなくちゃいけないと思うんですよ。大人になって本当に自分が必要になったときに、本を読む力があるか、本を選ぶ力があるか。それぐらい長いスパンで考えていかなくちゃいけない。それが、幼児期に全部決まってしまうという考え自体が浅はか。
私はゴン太の注意欠陥が酷い間は読み聞かせなんて諦めてました。
でもね、小学校に上がって、読み聞かせもちゃんと聞けるようになりました。長いものや複雑なものは集中力が持ちませんが、興味を惹かれるものや面白可笑しいものは全部聞いていられるようになりました。
私は小学校の「音読」の宿題の代わりに、「読み聞かせ」をやりました。(学校のほうには「音読」で申告していましたが)本も絵本ですよ。長いのなんて絶対読まない。幼児期に絵本の読み聞かせが一切できなかった分、小学校に入ってからやりました。
読んだ絵本は全部記録していきましたが、900冊を超えています。そして、聞いていられる本のバリエーションもどんどん広がっていきました。
でも絶対にゴン太に「自分で読め」とは言いませんでした。まずは私が読んで、「話を聞くのは楽しい」という感覚だけをつけさせました。これで「自分で読め」と言ってしまったら、ゴン太の場合は読むことの大変さにいっぱいいっぱいになってしまって、それこそ読書にアレルギー反応が出てしまう子です。
ゴン太が初めて「自分で読む」ということを積極的にし始めたのは、なんと「コロコロ」という月刊漫画でした。本当にくだらない漫画ばかり(笑)なんですが、小学生男児の好きそうなワード(う○ことかち○ち○とか!)がてんこもりです。漫画でいいんです。くだらない四コマでも、コロコロでも何でもいいんです。「自分で読む」という世界に入っていくのが大事なのです。ここで「歴史漫画を読みなさい!」とかやってしまっては、絶対にダメです。
毎日「コロコロ」をベッドの中で読んではゲラゲラ笑うゴン太。
「自分で読む」ということに少しずつ自信がついたのか、ここから次第に「本を読む」ということに脳が慣れていったように思います。親から見ていても明らかな変化がありました。
今は、マインクラフトの小説を読んでいます。一年前のゴン太では考えられないような成長です。じっとして本を読むなんて一生できないんじゃないかと思いました。
「読書習慣」については焦らないこと。読まないなら読み聞かせでいい。読み聞かせも焦らなくていい。自分で読むきっかけを作るのは漫画でもいい。
そして何よりも大事なのは、「その子の好きな本を買う」こと。それが漫画であっても絶対否定しないこと。
発達障害・学習障害の子を育てていると、「思考停止系教育論者」の言葉に動じなくなります。一般的な教育セオリーが通じないからこそ、親が動揺せずに子どものペースに合わせていくのが大事だと思います。
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